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サヌカイト

サヌカイト産地の現状
ー香川県坂出町、白峰山東側の讃岐石ー

2006年のGWは四国のサヌカイトの現状を見るために訪れてみた。

 香川県の坂出から屋島にかけては
古くの瀬戸内火山活動によって形成された溶岩台地(地質学的にはメサと呼ぶ)で
その頂上付近には讃岐石(サヌカイト)と呼ばれる古銅輝石安山岩が分布している。
ガラス質の黒色緻密な溶岩は木槌で叩くとチンチンとガラス質あるいは金属的な音色をだし、
地元では古くから「カンカン石」と称して親しまれている。
香川の土産物屋には売っているところもあるし、石楽器として有名なのでご存知の方も多いことだろう。

ネット情報やガイド書によると、国分台の自動車道から白峰山を越えて、
自衛隊の演習場に入る小道の植生の根元にサヌカイトは転げていると書かれている。
坂出から九十九折のドライブウェイを車で登っていくと、自衛隊の入り口に差し掛かる場所に出た。
しかし、近年に設けられたであろう大きなフェンスがあり、立ち入り禁止の掲示板もあった。
近年のテロ対策の一環かもしれない。
トラブルはいやなのでドライブウェイをさらに少し進むと台地の南側に国分駅に至る遍路道がある。
そのあたりで探索を開始してみる
しかし、付近の石は古銅輝石安山岩ではなく、灰色の頁岩ばかりで、
当然のことながらチンチンの音はでない。
再度、自衛隊のフェンス付近に戻り、フェンスと反対側の北側の台地を探索する。
笹の植生があるが、5月現在は根元から刈り取られているし、ドライブウェイと平行する小道もある。
丹念に地面を見ると、握り拳大の溶岩の塊をいくつか見つけることができた。
ハンマーの先で掘り出して割ってみると、なるほど黒色緻密な溶岩で、
たたけば「チンチン」と特有の音色が涼しい。

ひとりで音色を楽しんでいると、小道の先を進んでいた
同行のKさんから声があがった「ありました!」その声に駆け寄ってみると、
100Kgはあろうかと思われる岩体が地面に埋もれている。
半分ほどは地表に出ているので掻き割って叩いてみると、これもサヌカイトであった。
全部を持ち帰ったわけではないので、ここ暫くはこの塊は同じ場所にあることだろう。
しかし、この塊が最後のサヌカイトということではないだろうから、
付近を丹念に探せば、まだまだ入手することはできると思う。
上述したように笹があるので夏場などは入りにくいかもしれない。
またサヌカイトの割れ口は鋭利
(古代の人はそれを利用して石包丁や石鏃として用いた)なので軍手は必須。
またゴーグルなども用意して怪我のないように探されるとよい。

三太<調査 2006.5.5.>

平岩鉱山

 女性や子供に圧倒的な人気がある鉱物はあざやかな色合いのものが多い。
なかでも 蛍石はベスト3に入るもので、イリノイ産の八面体結晶などは人気が高い。
小粒の蛍石であれば全国津々浦々で採集は可能であるが、ある程度の大きさと色合い は
岐阜県関市上保村平岩の平岩鉱山がベスト産地といえる。

今回は平岩鉱山の蛍石の現状についてスポットをあててみる。

 

平岩鉱山は我が国では珍しく戦後に開発された鉱山で昭和23年から採掘が始まり、
昭 和36年には最盛期を向え年間数千トンの蛍石を搬出したと記録されている。
当時は 全国生産の60パーセントを占めていたが、生産量の減少から昭和48年に閉山すること となった。
蛍石は鉄の精錬時に混ぜると鉄の融点が下がる、つまり低い温度で鉄が溶 けるのだから
コストを下げることができる利点を持つ。鉱物としては希少なものでは なく普通種といえよう。
現在は中国など海外から輸入しているが、蛍石の単体ではな 粉状であるという。
この方が輸送船に多く積むことができるのだという。


平岩鉱山は関市にある。以前は武儀郡であったが、平成の大合併で関市に編入され た。
平岩東小学校の前から津保川を渡るコンクリート橋を渡って
(この付近の人は親切な人が多いので、分かりにくかった場合は教えていただくとよい)、
左側の道を1 キ ロメートルほど上がると、小川の向こう岸にある山の斜面にズリが見える。
小川を 渡り、ズリに取り付くと表面を丹念に見るだけで
緑色や透明あるいは紫色の蛍石を拾 うことができる。
木々の根元や人が見ていない林の中を少し掘るのも有効で、
数セン チ の大きさながら様々な蛍石を得ることができる。
このズリの先の斜面には
大岩のズ リ があり、この岩を割って蛍石を出すという手もある。
割った断面にある蛍石は新鮮 で 色合いもいっそう強い。
中には玉髄と蛍石が何層にもなっているものもあり、磨く と とてもきれいだ。
蛍石も緑色、白色、紫色など何色もがひとつに並んでいることも あ る。
もうひとつ、平岩の蛍石の特徴は白い葉片状の石英の隙間に
小粒ながら紫色 (黄 色や青色あるいはピンク色もある)の
自形結晶がついていることがあることで、白 い 石英に紫色の蛍石はコントラストもよく、
アマチュア鉱物採集家にはたまらない。
ま た平岩の色つきの蛍石はミネラライトの長波で青く蛍光するのも楽しいものだ。
ズリの先には稼行時の平たい道(現在は木々が茂ってかがまねば進めない)があり、
反 転するように山道が付いている。
昔はこの道を用いて鉱石を下ろしたのだろう。
昨 秋 の台風で大きな杉の木が何本も倒れているが、この先にもズリや坑口がある。
とにかく大きなズリなので、半日も探索すれば十分な量の蛍石を得ることが可能と 思われれる。 

  三太

和泉層群

大阪府南部は白亜紀の化石産地に恵まれている一方で、鉱物産地が極めて少ない地方です。
戦時中に国策として金剛山で辰砂を掘った以外は、金属鉱山は全くありません。
ところが、鉱物不毛の地とも思えるこの泉南地方で、
世界的な稀産鉱物(希にしか産出しない鉱物)が採集できるところがあります。
しかも、この場所は化石が採れることでも有名な場所なのです。
和泉層群
泥岩中に細くて白い脈(Vein、ベイン)が入っていることがよくあります。
この白い鉱物は一種類ではなくて、石英、方解石、沸石などさまざまです。
これは、和泉層群にかぎらず堆積層には普通に見られる現象です。
堆積岩の割れ目に様々な物質を溶かし込んだ水が染みこんで、
石英、方解石、沸石などを沈殿してできたものでしょう。
1972年、大阪市立大学の先生方によって和泉層群の白い脈が詳しく調べられ、
2種の稀産鉱物が発見されました
 この時に発見されたのが、ドーソン石とアルモヒドロカルサイトです。
ドーソン石が世界で最初に発見されたのは100年以上前のことですが、
1972年(和泉層群で発見された年)までに確認された産地は世界中で9ヶ所だけでした。
アルモヒドロカルサイトの方は1926年に発見されて以来、3ヶ所でしか見付かっていませんでした。
つまり、大阪府がドーソン石の10番目の産地、
アルモヒドロカルサイトの4番目の産地ということになります。
しかも、この二つの鉱物が一緒に出て来た(共生する)例は和泉層群が世界で初めてです。
これらの鉱物は、岸和田市から泉南市にかけての数箇所で、
和泉層群下部(白亜紀後期)の畦ノ谷泥岩層(あぜのたにでいがんそう)から発見されています。
1972年に発表された論文によると、東側ほどドーソン石の割合が多く、
西に行くに従ってアルモヒドロカルサイトの比率が高くなる傾向があるそうです。
岸和田市塔原ではドーソン石のみ、
泉佐野市大木では両方が共生、
泉南市六尾ではアルモヒドロカルサイトが主になっています。
この産地ではどういう具合になっているのかは未だ確認していません。
 ドーソン石とアルモヒドロカルサイトは、
泥岩中の加水アルミノケイ酸塩(例えばモンモリロナイトのような粘土鉱物)と
炭酸水素ナトリウムを含む温泉水とが反応して出来たと考えられています。

模式的な化学反応式は次のようになります。
モンモリロナイト
Al4Si8O16(OH)12 nH2O + 4NaHCO3 → NaAl(CO3)(OH)2 + 8SiO2 + (n+4)H2O



ドーソナイト
NaAl(CO3)(OH)2 + CaCO3 + H2O → CaAl2(CO3)2(OH)4 7H2O + n(Na,OH,CO3)
ドーソナイト 方解石 アルモヒドロカルサイト
ドーソン石とアルモヒドロカルサイトとは外観がよく似ているので、肉眼で区別することが出来ません。
どちらも同じように絹糸光沢の細い繊維状結晶が丸く集まっています。
透明で細い棒状のアラレ石の結晶も見付かります
ドーソン石(Dawsonite)斜方晶系NaAl(CO3)(OH)2繊維状、針状ガラス〜絹糸光沢
酸に発泡して溶ける.モース硬度 3.ヘキ開 {110}に完全
アルモヒドロカルサイト(Alumohydrocalcite)
三斜晶系CaAl2(CO3)2(OH)4 7H2O繊維状、針状ガラス〜絹糸光沢.
温水に溶ける酸に発泡して溶ける.モース硬度2.5.ヘキ開 {100}に完全
ギブス石(Gibbsite)
単斜晶系γ-Al(OH)3雲母に似た板状ガラス〜絹糸光沢,加温した酸に溶ける
モース硬度 3.ヘキ開 {001}に完全
アロフェン(Allophane)
非晶質2Al2O3 SiO2 nH2O不定形ガラス〜樹脂.酸に溶けゲル状になる
モース硬度 3.貝殻状

市之川鉱山

はじめに
 我が国にはかつて2000を越える鉱山が稼行していたが、
敗戦と共に多くの零細鉱山は閉山し、
また戦後は海外の安価な鉱石に太刀打ちできず、
また雨の多い日本では坑道の排水コストや人件費の上昇により、
現在は壊滅的ともいえる状況にある。
兵庫の中瀬鉱山などは精錬施設を活かして中国から
粗製アンチモンを輸入して精錬のみを行っているところもあるが、
殆どの鉱山は閉山または休山となっていて、
鹿児島の菱刈金山など現在も稼行している別格の鉱山は数えるほどしかない。

本編では古今東西ということで
近年の鉱山跡情報をアマチュア鉱物採集家の目から簡単に報告したい。

市之川の輝安鉱
日本で産した(過去形なのが寂しい・・・)鉱物のなかで、海外にも通用する鉱物標本、
特に三大鉱物といえば、
乙女鉱山の日本式双晶と田上山(たなかみやま)のトパーズおよび市之川の輝安鉱といえる。
他にも田口鉱山のパイロクスマンガン鉱など素晴らしいものもあるが、
三大鉱物に挙げた標本はどれも並はずれて大きく立派なことから
海外でも高く評価されている。

今回は市之川鉱山の輝安鉱の現状についてスポットをあててみる。
市之川鉱山は愛媛県西条市市之川にあり、
鉱山としては比較的に町から近い山間に位置している。
多くの鉱山と同じで開山の歴史などは残されていないが、
「続日本紀」(713、和銅6)に、伊予国から白目(しろめ)
(市之川地区に現在も部落住所として残っている)が献上されたことが記されており、
多くの関係者はこれを市之川産の輝安鉱であると考えている。
明治の時代に入り、日清戦争でアンチモン(輝安鉱の70%)は高騰する。
砲弾にアンチモンを入れ込んで合金にすると威力が増したとのことである。
戦争が終わればヤマは閑古鳥が鳴き、
また戦争が始まると活況を呈することの繰り返しであったという。
最盛期には2万人程度が市之川に居たとされている。
市之川の輝安鉱は刀状・長柱状の結晶を産したことで有名で世界に類を見ない。
したがって明治の頃には大量に輸出されて海外の博物館はこぞってこれを購入した。
現在も大英博物館には市之川の輝安鉱が収蔵されており、
海外の鉱物研究家にとって、日本の知識が殆どない人でも
”Ichinokawa,Iyo“の名は知っているという。

 
昭和の10年台後半まではノミと槌による採掘であったが、
その後は火薬を用いた採掘に変えたため、
輝安鉱の結晶もこなごなに粉砕されたという。
市之川鉱山は昭和32年に閉山となった。
市之川地区には小学校が昭和58年まであり、現在はその跡地を公民館にしている。
火・木・土は公民館長が詰めておられるので声をかければ、
金庫にある立派な輝安鉱や旧教室に展示されている
鉱山関係の資料を見せていただくことができる。
ところで2004年秋の台風は市之川だけでなく、
日本のいくつかの地域にとって大災害をもたらした。
例年、日本に上陸する台風の数は平均して2-3個、多くて4個であるが、
2004年は10個もの台風が上陸した。
これは気象庁の観測史上初めての記録という。
ちなみに2005年は2個の上陸であった。
2004年の台風では四国や中国、兵庫、京都、石川などは、
この台風群の通り道となったため、大風と大水が再三にわたって山に被害をもたらした。
市之川も例外ではなく、公民館まで行けたアスファルト道路は何箇所も決壊崩落した。
手前から回復工事が順になされているが、最終的な修復時期は現在も未定といわれている
我々は台風が通る前の2004年3月に市之川を訪れて、
鰻坑とよばれている付近で小さいながら母岩のなかにある晶洞にある
ギンギンぎらぎらの輝安鉱を採集した。
2005年は11月に再訪した。公民館の少し手前から歩きになる。
市之川鉱山には多数の坑道があり、
その一番下に位置するといわれる千荷坑の前にあった選考場への
鉄の橋も今は流されてない。
加茂川の上流へ10分ほど遡行した河原には
何本もの杉の木が倒れており、周りの杉の木を見上げてみると、
人の背丈のまだ上に杉の枝がU字状にひっかかっている。
この高さまで水が流れた証拠で、川巾も現在の何倍にもなったことが窺い知れる。
2004年3月に山を巻いて訪れた鰻坑も途中の山道は何箇所も崩れており、
前の状態を知らないととても行き着ける感じではなかった。
鰻坑のすぐ近くにあった鉄の橋も流されている。
 このような状態ではあるが、それだけに自然の力によるガレ場のかき混ぜがあるので、
今まで見ることができなかった岩の数々が地表に出てきているのは
アマチュア採集家にとってはありがたいことかもしれない。
谷筋ではかっての鉱床露頭から転げ出た
「白玉(ハク玉・輝安鉱の川流れで玉になっている)」もボツボツと見つかっているという。
確率は高くないが、丹念に探していれば宝くじよりは当たる率は高いかもしれない。
また玉ではないが、川流れの輝安鉱もぽちぽちと見つけることができる。
2005年11月の探索ではマッチの軸の太さながら、長さ5-6cmの輝安鉱の
群晶が小粒水晶の平たい隙間に結晶したものを見つけることができた。
往年の比ではないが、現在では立派な標本といえるだろう。


乱獲するのではなく、
市之川でも長くアマチュアが鉱物採集を続けられるように
配慮して探索採集されることをお願いしたい。   

平賀源内の石筆

平賀源内の「石筆」再発見? : 武 修次

最近、石の収集がブームになりつつあるようです。
パワーストーンとかヒーリングなどといった、ちょっと自然科学からは遠いものもありますが…。
しかし、「石」の趣味は何も今に始まったわけではありません。
江戸時代には、趣味として石を集める人々がいました。
その中でも特に有名なのが、近江国山田浦に住んでいた木内小繁です。
彼は石亭と号し、『雲根志』という本を残しました。
雲根志には、木内石亭が収集した奇石の形状や産地が多数載っています。
今回はその中から、「赤き石筆」についてお話します。
これは、静岡県立吉田高校の杉本先生との調査を基にしたものです。

雲根志を読んでいると次のような記載にあたりました。
石亭曰く、
…又赤き石筆あり。遠江国嶋田より二里ばかり北、千葉村にあり。
江府平賀氏かんがえ出して今もつ。
はらほそく切て、懐中の筆に用ゆ。中古より石筆おだんだよりわたる。
(「雲根志」前編巻之この平賀氏というのは、あの平賀源内でしょうか?
平賀源内はエレキテルを作ったことで有名ですが、
その他にも小説を書いたり洋画を描いたりもしています。
その他にも、田村藍水らと物産会(物産展)を開いて日本中の産物を数多く集めています。
もちろん、その中には「石」もあるはずなので、
源内の著書を調べてみることにしました。
『物類品隲(ブツルイヒンシツ』という本で、物産会の公式パンフレットのようなものです。

ロートアールド。和名、石筆。紅毛人、赤色ヲロートト云、アールドハ土ナリ。
是ヲケズリ刮テ筆ノゴトクニシテ字ヲ書スルニ、硯墨ヲ用ズシテ甚タ便ナリ。蛮産、上品。
駿河志田郡大賀山産、蛮産ト異ナルコトナシ。庚申ノ歳、予駿河ニ至テ是ヲ得タリ。
本邦、此ノ物出ルノ始ナリ。(「物類品隲」巻之二、1763年)

やはり、有りました。日本初の発見だと言って自慢しています。
「駿河国志田郡大賀山」とは現在の静岡県島田市上相賀付近に当たり、
千葉山の西方山麓になるので、雲根志の記述とも一致します。
平成11年1月3日、いよいよ現地に行って平賀源内の「赤き石筆」を探索することにしました。
千葉山の西山麓を流れる大賀谷川をさかのぼって行くと、
赤い石がたくさん転がっている支流に出会います。
ところが、よく見るとこれらの石は一種類ではなく、少なくとも3種類の赤色系の転石があるのです。
岩石の種類で言うと、玄武岩、石灰岩、ケツガン頁岩があり、
しかもそれらが風化変質した岩石も転がっています。
そのほかにも、輝緑凝灰岩、黒色チャート、蛇紋岩、ハンレイ岩の
ブロックがゴチャゴチャと混じっているではありませんか。
そうそう、大きな枕状溶岩もたくさんありました

実は、この地域は太平洋プレートの沈み込みに伴って、
海底堆積物や海山などの一部が剥ぎ取られ
陸側斜面にくっ付いた「付加体」と呼ばれるものなのです。
いわば、さまざまな岩石を寄せ集めて地層が出来ている地域です。

河床を歩きながら、赤い石を見つけては紙に字を書いてみました。
削って使ったというのですから、
内部まで石筆として利用できるものでなければいけません。
そうすると、玄武岩や石灰岩は堅すぎて適当ではありませんでした。
結局、平賀源内が「石筆」として書き残したのは、
この沢の「赤色頁岩」ではないかということがわかりました

飯盛鉱山

1.和歌山県那賀郡の地質概説

この地域は、西南日本を縦断する大断層である中央構造線(MTL)のすぐ南にあたります。
中央構造線を挟んで、北側には和泉層群と呼ばれる堆積岩層が分布し、また南側には三波川
(さんばがわ)結晶片岩と呼ばれる変成岩(主に緑色の結晶片岩)が東西に広く分布していて滑石やアクチノ閃石はこの緑色片岩の中に含まれています。

変成岩とは、一度できた岩石が温度や圧力の影響を受けて別の岩石に変わったもので、結晶片岩のほかに片麻岩、千枚岩、ホルンフェルスなどがあります。
三波川結晶片岩は、中生代白亜紀に200℃〜400℃の温度と4〜7Kb(キロバール)の圧力のもとで変成したと考えられています。変成した深さは10〜20Km程度でしょう。

ところで、近年この地域から金と手稲石が見つかり話題を呼びました。又、大阪府と和歌山県の境目、風吹峠付近には大きな砕石場があって和泉層群の砂岩泥岩互層が能く観察できます。


2.和歌山県那賀郡桃山町安楽川(あらかわ)の「滑石」

鉱物名:滑石、Talc(タルク) 、化学組成:Mg3Si4O10(OH)2
モース硬度:1(爪で簡単に傷が付く)で脂状感(ツルツル感)がある
比重(S.G.):2.6〜2.8、色:白、緑色を帯びた白
利用:石筆、製紙原料、潤滑剤、耐火物、医薬品、化粧品など

古代には、この場所の滑石を使って勾玉(まがたま)が作られていました。
日本の滑石鉱床は蛇紋岩中に幅1〜5メートル、長さ10〜20メートル以下の小レンズ状になっている場合が多く、この産地でも蛇紋岩が一緒に産出します。
滑石は、白くツルツルしていて爪で簡単に傷が付きます。
蛇紋岩は、黒または黄色(きな粉色)でツヤがあります。

滑石と蝋石の違い:

滑石は単独の鉱物名です。蝋石とは、本来は葉蝋石(Pyrophyllite 、パイロフィライト)を主成分とする岩石のことで、滑石よりも堅いものです。しかし、葉蝋石と外観の似た石を含めて一般的に蝋石と呼ぶことがよくあります。
滑石は変成作用に伴って産出します。一方、葉蝋石は熱水(≒高温の温泉水)が既存の岩石と反応して出来ます。

3.和歌山県那賀郡粉河町龍門山の「アクチノ閃石」

鉱物名:アクチノ閃石(緑閃石、透緑閃石、陽起石とも)、Actinolite(アクチノライト)
化学組成:Ca2(Mg,Fe)5Si8O22(OH)2
モース硬度:5〜6、比重:3.03〜3.17
色、形:緑色長柱状〜繊維状(石綿)、特に細粒緻密なものが軟玉(Nephrite)

アクチノ閃石はカルシウムを含む角閃石の一種です。この種の角閃石には他に、
透閃石(Tremolite)と鉄アクチノ閃石(Ferro-actinolite)があり、鉄(Fe)とマグネシウム(Mg)の比率によって区分されています。

透閃石:Mg=100%〜90%、スカルン(交代を伴う一種の熱変成)によって出来る

アクチノ閃石:Mg=90%〜50%、玄武岩などが低温の変成作用を受けて生成する

鉄アクチノ閃石:Mg=50%〜0%(つまりFe>Mg)、産出は希

4. 和歌山県那賀郡粉河町龍門山の「黄鉄鉱後の褐鉄鉱仮晶」

アクチノ閃石と同じ場所から滑石が採集できます。この滑石の中には、褐色の立方体結晶が含まれています。これは、黄鉄鉱がその外形を残したまま変質して褐鉄鉱になったもので、「黄鉄鉱後の褐鉄鉱仮晶」と呼ばれています。地方によっては、武石(ぶせき)、升石(ますいし)、角石(かくいし)とも俗称されています。


5.和歌山県那賀郡那賀町の飯盛鉱山跡

三波川変成岩の中には、黄鉄鉱や黄銅鉱が層状に発達した鉱床が、しばしば存在しています。かつては日本から産出する銅の多くがこの種の鉱床から供給されていました。別子型含銅硫化鉱床とかキースラーガー(Kieslager、独)と呼ばれています。
鉱床の成因については諸説ありましたが、現在では、深海底で噴出した熱水から大量の金属鉱物が沈殿し、それが変成作用を受けて出来たと考えられています。

飯盛鉱山は典型的なキースラーガーの大鉱山でした。鉱山施設や大きな坑道は残っていますが、鉱物標本に適するような鉱石はありません。
ズリ(選鉱にかからなかった捨て石)の中から、細粒の黄鉄鉱塊や各種の結晶片岩が拾えます。紅簾片岩(こうれんへんがん)という紅い結晶片岩も含まれています。

針道の黄鉄鉱

奈良県桜井市針道大峠の鉱物

採集できる鉱物として
黄鉄鉱、輝安鉱、硫砒鉄鉱、辰砂、石膏、セリサイト(絹雲母)などが挙げられます。
目的の鉱物は白い粘土(これがセリサイトです)の中に含まれていますから、
この粘土を目印に探してください。
また、セリサイト粘土は水に溶けやすいので、水が流れている
場所を探すと洗い出された黄鉄鉱などが見付かるでしょう。

産出頻度は、
黄鉄鉱≫輝安鉱>辰砂>硫砒鉄鉱、石膏の順に少なくなるようです。

1.鉱物の出来方
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)周辺には閃緑岩と呼ばれる岩石が分布しています。
緑岩は有色鉱物(角閃石、黒雲母)に富む深成岩の一種で、
花崗岩よりも黒っぽく見えます。
この地域では、マグマから閃緑岩が出来たずっと後に、その割れ目や隙間を通って
熱水(非常に温度の高い温泉水)が上昇して来ました。
熱水は普通の水と違い、実にさまざまな物質
(水銀、アンチモン、砒素、アルカリ元素、etc.)を溶かし込んでいますし、
また周囲と反応する性質も強くもっています。
今回は熱水とその通路にあった閃緑岩とが反応して出来た鉱物です。

2.産出鉱物各論
A)黄鉄鉱(おうてっこう)、FeS2
 一番たくさん出てきます。
金属光沢と外形から簡単に識別できます。
正六面体、正8面体、五角十二面体を基本として色々な形があります
B)輝安鉱(きあんこう)、Sb2S3
アンチモン(Sb)のもっとも主要な鉱石鉱物です。
有名な愛媛県市之川鉱山の輝安鉱は日本刀のような輝きと大きさを持っていますが、
ここのは黒くて小さな結晶が放射状〜亜並行に集まったものです
C)辰砂(しんしゃ)、HgS
 水銀の原料として重要な鉱物です。
古代から赤色の絵の具として貴重なものでした。
この場所では肉眼で見える結晶はなく、朱色の土状になっています。
D)硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)、FeAsS
 九州の土呂久鉱山ではこの鉱物を焼いて亜砒酸を製造していました。
ここでは黄鉄鉱よりもずっと量が少ないので、
粘土ごと持って帰ってゆっくり探すのが賢明でしょう。外形は図を参考にしてください。
E)石膏(せっこう)、CaSO4・2H2O
 骨折の治療に使う石膏と同じものです。
褐色土状になった石の隙間に透明なガラスのような結晶がついていたら石膏です。
小さいので注意してください

多田鉱山

多田鉱山の自然銀


 日本で産する金属元素鉱物としては、北海道の白金属、ジパングと称される各地の 砂金や山金、
そして今回紹介する自然銀が代表的なものだろう(しかし、採掘コストの合 わないところが大半である)。

自然銀といえば北海道の豊羽鉱山などでは髭銀と呼ばれる紐状のものもあるが、
大半 は微細で黒鉱的なものが多い。箔状というのも珍しい部類だが、
ちょうどアルミ箔の 小さな小片が石英に付いている感じといえば分かっていただけるだろうか。

今回は兵 庫県多田鉱山(兵庫県川辺郡猪名川町広根)の自然銀の現状についてスポットをあてて みる。

 

 多田鉱山(地元では多田銀山という)は古くは鎌倉時代に開山しているが、
豊臣秀吉 の時代や江戸時代、江戸では金本位制の小判が、
関西では銀本位制であったことから 島根の石見銀山や多田銀山は重宝された。
これまで2000を越す間歩があったとされる が、
時代と共に崩落や捨て去りがあり、現在の間歩数は明らかではない。

また地表は ゴルフ場や住宅になったところも多く、
近年では行政が危険回避のために坑口を閉じ てしまうことも多い。
台所間歩なども現在は口が閉められていて始めての人には看板 があるだけで坑口は見えないということになっている。



 昭和の時代には日本鉱業(株)によって本坑と呼ばれる縦坑も掘られて、
月産の粗>鉱 量は1000トン程度であったと記録されている。
昭和48年に休山し、現在は山間の静か な風景に戻っている。

 玄翁坑、瓢箪間歩、青木間歩などのいくつかの坑口は現在も健在で
青木間歩は2004 年に整備されて一般に開放されている
(とはいえ内部はコンクリートで固めてあるので10mほどのトンネルを見るだけということになる。
日中は扉が開けられていて無料)。

我々、アマチュア鉱物探索者は砂利池(ジャリ池)と呼ばれる石金樋鉱床のズリ 石を叩くことが多い。
石英の塊は精錬の邪魔なので打ち捨ててあり、それを割ると、
ごく希に箔状の銀色あるいは淡ピンク色の自然銀が現れることがある。
砂利池の直ぐに上は広場のようなズリ場で自然銀はここから出る確率が高いといわれている。
昨秋の大雨と台風による川状の掘り込みができていて土の下にあった石も表面にでてきて いる。
出来るだけガザガサ風の乳白色の石英を割る
(ガサガサだから軽く叩かないと こなごなに砕け散る)と自然銀が出ることがある、
なんとも適当な言い方で恐縮だが、着いて5分もしないうちに見つかることもあるし、
2時間ほど石を割っても出ない時はでない。
ただし、自然銀も山金と同じでひとつ入っている小石を見つければ小割 りすれば、
他の部分にも大概は入っているので標本は小さくなるが、数は稼げる。


掘 先生の本には「かつて箔状の自然銀を産した」と記されているが、
現在でも、 ネバリと根性”と”運”(つまるところは回数)により手にすることができる。

微細粒の閃亜鉛鉱や黄銅鉱、あるいは斑銅鉱、方鉛鉱、
青い皮膜の青鉛鉱やブロシャ ン銅鉱も石英に入っており、これは数も多い。

砂利池付近は明治の森の自然道となっているので休日はハイキングで通られる方も多 いし、
この頃はバイクや自転車で通る人もよく見かける。
鉱物採集家は断然に少ない が、
地元の人はここが銀山ということをよくご存知なので、
別に不審者のように思われる心配はないことも鉱物採集家には嬉しい場所のひとつである。
 三太

秦野鉱山

1.秦野鉱山の概要(鉱山史)「和泉鉱物化石研究会」

秦野鉱山は、石澄川の支流(石澄の滝のやや下流西側)にあり、今でも鉱石が豊富に残っています>
この鉱山は豊臣時代に発見されたらしく、
大正末期から昭和初期にかけて盛んに採掘されていました。
しかし、鉱害問題から昭和11年頃には休山し現在に至っています。
(池田市史に「主として閃亜鉛鉱を採掘した」とあります)

2.秦野鉱山の鉱床秦野鉱山の鉱床は、スカルン(skarn)を伴う高温交代鉱床です。
カコウ岩質マグマが固化する時,
その近くに石灰岩(主成分は炭酸カルシウム)があると先ず石灰岩が熱分解し、
さらにマグマからのガス(気体)成分と反応して別の鉱物が出来ます。
こうして出来た新しい鉱物は、主成分としてカルシウムを含む疎粒の珪酸塩鉱物の集合で、
スカルン(skarn)と総称されているものです。
(ただし、これは典型的な例で、他の成因で形成されるスカルンもあります。
また、スカルンに伴って鉄・銅・亜鉛・鉛・タングステンなどの金属鉱物が濃集することがあって、
接触交代鉱床、高温交代鉱床、スカルン鉱床などと呼ばれています。
なお、スカルンという名前は、スウェーデン語で『ロウソクの灯芯』を意味する鉱山用語で
細長い鉱物がより合わさって出てくる様子に由来するそうです

鉱床:特定の元素や鉱物が、特に濃密に集まっている部分
鉱石:経済的に採掘の対象となりうる鉱物の集合体や鉱床の一部分
スカルン:カルシウム(Ca)を主成分として含む疎粒の珪酸塩鉱物の集合体。
スカルン鉱物:スカルンを構成する一群の鉱物(Ca珪酸塩スカルン鉱床:スカルンを伴う金属鉱床
接触交代鉱床、高温交代鉱床とほぼ同義
鉱滓(スラグ):鉱石を精錬した時に出来るガラス質の滓(カス)。ノロ、カナクソ。

3.秦野鉱山で採集できる鉱物

スカルン鉱物では灰鉄輝石、灰礬石榴石、緑簾石、珪灰鉄鉱など
鉱石鉱物としては、
閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱などが採集できます
その他にも、これらの鉱物から変質した二次鉱物として、
硫カドミウム鉱、石膏、サーピエリ石などがあります